
正直、積みゲーの消化として始めた今作。サクっとPart Iを終え、そのまま手を伸ばしたPart II。
そこには、予想もしていなかった展開が待っていました。
誰かを守る選択が、別の誰かの人生を壊してしまう。
The Last of Us・Part IIは、そのどうしようもなさを体験するゲームです。
ゲーム・The Last of Us・ Part IIのあらすじ
舞台は謎の感染症によるパンデミックで文明が崩壊した世界。
運び屋のジョエルは、感染症の抗体を持つ少女エリーを人類の希望として病院へ送り届ける。しかし、ワクチンを作るには彼女の命を犠牲にしなければならない知り、ジョエルは世界を救うことよりもエリーの父でいることを選択。手術を執刀しようとした医師を皆殺しにして、エリーを連れ出した。
その5年後、復讐に燃える女性がいた。その名はアビー、ジョエルが殺した医師の娘。アビーは世界を救うはずだった父を殺したジョエルを襲撃、エリーの目の前で彼を殺害する。
エリーはジョエルを殺したアビーに復讐するため旅に出る。一方アビーは恋人を探す旅の中である姉妹を助け共に過酷な世界を生き抜いていく。
やがて復讐が繋いだエリーとアビーが出会う。二人の戦いは避けられない……。
1.The Last of Us・ Part IIをケアマネ視点でプレイ:ぶつかり合う正義という名のエゴ
このゲーム、特にpartⅡは激重です。父親代わりのジョエルを殺されたエリー、父親をジョエルによって殺されたアビー……二人が憎しみ合うことは必然。それは避けられない運命のよう。
人間、誰しも自分として生きています。自分の希望、思い、正しさ……そういった自分という多面的な心情を抱えて生きているのです。
そんな存在が同じ世界に数多いるのだから、ぶつかり合うこともまた運命。それは、介護の現場でも同じです。
ぶつかり合いはご本人×ご家族、という場面でも、そして医療職×福祉職というフィールドでも生じます。ご本人・ご家族のため、というところは共通していても考え方・倫理観が違う専門職同士、ぶつかってしまうことがあるのもまた必然なのです。
癌の患者さんの例で考えてみましょう。
抗がん剤の治療が残り僅か、という段階、治療を続けることはできるが副作用は強烈で生活の質は確実に落ちる、ご本人には治療を諦め生活の質を取り戻したい、という潜在的な思いがある、というケースです。
医療職の方は「治療の効果があるのだから治療は継続すべき」と考えるのは当然でしょう。
一方福祉職は「ご本人の思いを思えば、治療を諦めてご本人らしい生活を取り戻して欲しい」と思うのもまた当然だと思います。
これ、どちらも間違ってないのです。ご本人のことを思っているのは同じ。ただ、職の専門性が違う、ということ。
こういう、方向が違う専門性を取りまとめられる可能性があるのがケアマネという仕事なのではないか……しおこがましいながら思ったりします。
ケアマネには医療職の方ほどの医療的専門知識はありませんし、福祉の現場でばりばり仕事をされている方ほどのスキルがあるとも限りません(少なくとも私には)。
しかし、ご本人・ご家族、そして支援者の方々とコミュニケーションを取り、それを連携という形に昇華させていくのもまた私達の仕事なのかなと思います。

エリーも、アビーも、間違っていない。それでも、争うしかない……。 福祉の現場でも漂うこのどうしようもなさを、物語ではなく体験として味わいたい方へ。
2.ラスアスをケアマネがプレイ:プレイヤーを絶望に追いやるという戦略
私はいわゆるゲーム黎明期からゲームに接してきた世代。数多くのゲームをしてきた上に今もその経験値を積み上げているところです。
そんな私ですが、ゲームでここまで絶望に打ちひしがれた経験は、今作を含めて数作。
The Last of Us・ Part IIはTPS×ホラー・サバイバルというまぁよくあるジャンル。ゲームの設定自体もめちゃめちゃ斬新、ということもありません。私も正直、Part.1、Part.2の中盤まではよくあるTPSとしてプレイしていました。
今作が私にとって忘れられないゲームとなったのは、前作の主役ともいえるエリーと、今作の主役であるアビーの運命。二人は間違っていない、二人は正しい、しかしぶつかり合うしかないというその絶望的な運命……。
ゲームは体験だ、と私は思っています。映画やドラマが鑑賞であれば、ゲームは実際にプレイヤーの五感を刺激して物語に関与する体験なのです。
今作は、普段の生活では滅多にお目にかかれない絶望を体験させてくれる、という点で他のゲームとは一線を画しています。
こうした「どうすることもできない絶望」は、この作品だけに限ったものではありません。
形は違えど、似た重さの絶望を突きつけてくる作品が、他にもあります。
3.【まとめ】:もし、エリーとアビーの間に仲裁役がいれば……。
相反する力を仲裁し、かつ活かす……ケアマネにそんな専門性があるのだとすれば、二人の間にもそんな存在がいれば……ふと思ったりします。
いや、多分、もしそんな存在がいても意味はなさないでしょう。仮にジョエルがアビーの父親とともに生き返って二人を仲裁したとしても、二人の憎しみが解消するとも限りません。
感情は事実に宿るのではなく、心に生じる物だから。
介護の現場でエリーとアビーほど決定的に反目し合う専門職の方と遭遇することはまぁないでしょうが(あるのかな?)、少なくとも、間に立つ気概だけは持っておきたいと思います。役に立たないにしても……。
プロは、そうあるべきだと思います。

役に立たないかもしれない。それでも、立ち会うのがプロなのだとしたら。
プレイヤーとして、二人に立ち会ってみては。





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